彼は笑う。







空を抜けるような、少し低い優しい声で。










※Blank Card※



真神学園、屋上。

「あー気持ちい」
「そーかそーか。それはよかったなっ」
「あ、そこ」
「こーこーかぁぁぁ!」
「お前等…」
その日は、今年の夏でも最高温度を記録するほどの猛暑であった。昼時の屋上は炎天下ということが異様に似合う。
そして、空からは太陽の熱が容赦なく降り注ぐ。出来うる限りの薄着をしている筈なのに、それでも熱気は冷めない。
そうして夏特有の気だるさが体を蝕む。そんな中でも男が3人くつろいでいた。その足元には袋が数点。
一人は熱い床に座り、一人はその後ろに立ちその肩に両手を置き、一人は少し遠めから彼らを見る。
白いシャツから見える腕からは3人が3人とも筋肉が隆起しており、よく鍛えている事が分かる。
まるで我慢大会を実施しているかのようも見えるが、本人らは至って真面目に寛いでいる。
「暑いな」
緋勇龍麻は目を閉じて、屋上から遮る物が何一つない天を見上げて言った。
そんな彼は見かけ上、左程暑さにやられた様子もなく、汗が多い訳でもなく、辛そうに見えない。
けれども、真夏真っ盛りの暑さは、見かけ以上に疲労感を引き起こしていた。
そんな感覚を振り切るように空を見る。
空は予想以上に青く美しく澄み渡っていてその青さを瞼の奥に記憶させ目を閉じると、水の音が頭の中に響いた。
「暑いよなぁ」
嫌そうな声を込めて言うのは蓬莱寺京一。
その嫌そうな声は何も暑いだからだけではない。
否、勿論基本的に汗によってシャツが肌にへばり付くほどに湿度の高い中、つい不満が出る人種なのは仕方ない。
ただ彼が嫌そうな声を上げたもう一つの理由。
それは、彼の目の前に居る緋勇が大きな要因である。
緋勇の首元には京一の手があり、頭蓋と首筋の境目付近のくぼみに親指を滑らせぐっと上へあげている。
「もう少し爽やかな声で話そうか。京一」
要するに緋勇の首元のマッサージを仰せつかっている訳で。
「なんでそこまで俺がしなきゃいけねぇんだよ」
「それはお前が負けたからだろう」
一歩ほど離れた所、屋上の落下防止の柵に寄りかかった男。
水と、昼飯のひとつである焼きそばパンを食べながら醍醐雄矢が苦笑して言った。
「なんだよ醍醐。お前、龍麻の肩もつのかよ」
「というより賭け自体があまり好かん。負けたのなら諦めろ」
「…薄情者」
「京一は今月ピンチなんだ。醍醐」
「だろうな」
京一が非難の声を上げると同時に、緋勇が醍醐に声をかけて相殺した。






時間を遡る事30分前。






八月恒例となった補習。昼になり一旦休憩が入ったとき、京一がトランプを取り出して言った。
『賭けしねぇ?』
『京一っ』
『何賭けて?』
『昼飯』
『お前等なぁ…』
『俺は別のがいい』
『じゃあ一つ願い聞くってのは』
『それなら。』
『…』
内容は時間も勿体無いので単純明快で簡単。
トランプを一枚引く。
強いカードの方が勝ち。
『醍醐は?』
『俺はやめておく。お前等も程々にしておけよ』
そうしてなった緋勇と京一の一騎討ち。

結果。

京一がそろりと触れ、勢いよく引いたカードは、スペードのエース。
『俺の勝ちだな』
ぐっと嬉しさを噛み締めるように眼を閉じた京一を尻目に
緋勇がカードを引く。
『…』
しかし、そのカードを見ても緋勇は何も言わず、ただ見ている。
『これはまた』
そうして笑いながら首を傾げ、「引き直しかな」と呟く。
『…?何が出たんだよ』
『龍麻?』
醍醐が緋勇の様子を訝しげに思い、カードを覗き見た。
『?!………はははっ。京一の負けだな』
『なんでだよ……げ』
見ればそれは、何も書いてないカード。予備のカードに使用されるもの。
白紙の。まっさらの。






なにもない、カード。






それから今に至る。緋勇はマッサージを所望した。どうやら最近首が痛いらしい。
「あれ俺の勝ちなんじゃね?」
「運試しという意味では龍麻の勝ちだろう」
結局判断しにくいあの勝敗は醍醐に委ねられていた。
結果は見る通りである。
「醍醐は龍麻に弱いだろうよ。でもよぉ、あれに強弱なんてあるかよ…」
「無は有にはなれんからな。あんまり拗ねるな」
そう言って、最後の一口を入れて醍醐が飲み込んだ。
京一は今月ピンチというのが本当なのか昼飯らしきものは何もなく、大きなため息を出すだけである。
緋勇は持込みの弁当と2リットルのペットボトルの水。それから一つの紙袋。
「はぁ…何かこう納得いかねぇ」
そうぼやきながら、京一が先程から一言も喋らない緋勇を見た。
すぅすぅ、と呼吸をする音だけが響く。
端整な顔は眼を閉じると少しだけ幼く、切る暇がないと愚痴っていた漆黒の髪が一房揺れ落ちた。
彼は、眠っていた。
二人の話し声を子守唄にして、静かに眠っていた。
「…寝てるし」
「疲れてるんだろうな」
最近は色々な意味で忙しい。
それは、言わなくても十分に分かることだった。
転校してから、今の今まで、ずっとずっと一緒に居たから。
かけがえのない友と、言えるほどに。
「けどよ…」
そう言い掛けて止まる。
ふと視界に入った、2リットル入りの水。
「…」
「…」
「…きょ…」
「しーっ」
悪戯を思いついた顔で、京一が嬉しそうに笑った。
「…俺は知らんからな」
「はいはい」
そう言って。
片手で首をマッサージしつつ、もう片手でペットボトルを自分の元まで引き寄せ、キャップをあけようとした。
が。
未開封のペットボトルのキャップの抵抗は思いのほか強く思うように開かない。
「開かねぇ…」
そうぼやいて、そおっともう片手を離した。
そっと
丁寧に
醍醐から一人分はなれた場所に緋勇を腰掛けさせる。
ペットボトルのキャップは既に足元にキャップが転がっていた。
そして、実に満面の笑顔で、片手で額を押さえる友人を他所に勢い良くペットボトルの水を緋勇にかけた。
「…………?」
急激な多量の冷水により覚醒は強制的に促され。
「気持ち良いだろ」
京一に至っては実に楽しそうに笑い、自分にも狭い入り口により出れなかった水分を頭の上からかけた。
「…あーそうだな涼しい」
まだ現状把握ができてないのか呆けた声で緋勇が京一を見た。
ペットボトルにはまだ水は多く残っている。
先程さらりと揺れていた黒髪は、今水を重力に従い下にすべり落とさせ白のシャツを点々と色を失わす。
京一の手元にあるペットボトルを見て、自分の何とか無事だった食糧補給源を見て、醍醐を見て。
「…それ俺の?」
「そ。」
「…そうだ」
「…へぇ」

完全に目を覚ました緋勇の一オクターブ低い声が響いた、気がした。

「………うーん」
冷水以上の冷気が周辺を取り巻くはず、である。
「ひ…ひーちゃん?」
「ん?」
しかし京一への返答は通常時のそれと変わらない。
「…悪かった」
「いいよ、気にしなくて。あ、醍醐其れ取ってくれ。腹減った」
「あ、あぁ」
濡れた髪が首筋や頬に張り付いている。
それを剥ぎ取るように髪を右手でかきあげると、緋勇は持ってきた弁当とその紙袋を指差した。
雷の一つも落ちなかった様子に苦笑をして醍醐は其れを持ち上げた。
「龍麻。甘すぎるぞ」
渡すときに、忠告を忘れずにして。
しかし、その時緋勇は京一に見えないように、小さく笑った。
京一は緋勇に対して見えないように拝んでいる。
それを横目に見て、やはり緋勇は笑う。
「で、物は相談なんだが。醍醐」
「ん?何だ?」
「腹減ってないか」
「…ふむ。まだ入りはするが」
「じゃあコレやるよ」
そういって渡したのは弁当横の紙袋。
「これは?」






「いやな。賭けはナシってことで飯奢ってやろうと買ったんだが、京一いらないらしいから」






「あぁ、そういうことか。じゃあ遠慮なくいただこう」
「え?!なにっ?!あぁぁぁぁぁぁ!?!??!!俺のメシー!?」
叫びながら、近寄ろうとするけども、其れを邪魔するのは先程彼が開けた2リットルのペットボトル。
空となり身軽になった透明の容器は、素晴らしい勢いで京一に向けて飛ぶ。
「な゛っ」
「悔い改めろ」






けれどもやはり、彼は笑う。






空を抜けるような、少し低い優しい声で。






そんな彼らの真夏のヒトコマ。


※後書※
復刻版。時期外れの真夏。緋勇龍麻という人物が書きたかったが、どうにも成長後しか湧き出てこないので学生時代の話で気に入ってるものを引きずり出したり。まだ未熟であったとき。けれどきっとこんなところは変わらないと思う。
でも、一番変わりない要素は「京一には容赦ない」というところだといい。

[ 公開日/書いたひと ] 2006.Apr.15 / 鵜飼 千晴。